母校啓明学院での礼拝にて…

少し時間が経ってしまいましたが、木曜日の午前中に、母校の啓明学院の礼拝にて昨年に引き続きお話をする機会をいただきました。

学校に入ると、なんとも表現しにくい独特の校内の「におい」が立ち込めてきて、それがたまらなく懐かしく、在学当時のいろんな想い出が一気に蘇ります。

壁のシミや廊下の角にも、自分が年を重ねた年数分、時間の経過を感じさせる跡があるのも、すごくおもしろかったです。

母校って本当に不思議で、私にとっては「戻って来ることができる」とても大事な場所です。

 

中等部約500名、高等部約700名。自分が目指している社会の話をするとき、どう伝えたら多感な彼女、彼らの「何か」を考えるきっかけに繋がるのか。大学の授業とはまた違う、大きなプレッシャーを感じます。

学校を卒業した今だからこそ言えるのは、若い自分の感性を大切に、思ったことを素直に発信する勇気を持ってほしいということです。私が今の店をはじめたきっかけも、「おかしい」「こんな社会は嫌だ」という想いと、それを素直に仲間に伝えたところから始まっています。今の時代、そんな素直な感性がなかなか受け入れられないことも多いかもしれません。でも、それを大切にしてほしいという気持ちで、ありのままをお話させていただきました。

そして今日のランチタイム、礼拝で話を聞いてくれていた生徒さんがお店に家族で来てくれました!その子が私の話を聞いてくれて、早速「行きたい!」と思ってくれて、自ら行動して店に来てくれたということ。彼女のその行動は、本当にすごいことだと思うと同時に、少しでも自分の考えや行動のきっかけが伝わったであろうことにうれしさも感じました。

まだまだ発展途上な店ですが、これからもブレずに進んでいきたいです。少しずつでも「伝える」ことができるよう、誰かの役に立てるよう、一所懸命責任をもって頑張りたいです。

 

お祈り

「ご在天の父なる神様

今日はこのような素晴らしい時間を与え下さり、心より感謝致します。

今、私達は思います。

大小問わず、社会問題に直面したときに「見て見ぬふりをする」「自分にはなにもできないと思う」「やろうかな、いざ動こうと思うと、できない言い訳ばかりを考える」

世の中は、自分の目の前のしあわせ以外に関心がない人たちで溢れています。だから、光が当たらない人々の存在があります。

そんな、光が当たっていないものに光を当てることができる美しい心がもてますように。光に照らされたものが更に輝き、また他者を照らす光になる。そうやって輝きの連鎖が起こる世の中となりますように。

美しいものは美しい、おかしなことはおかしい、自分の感性を粗末にせず、社会に対して素直な自分の言葉を発信する勇気が持てますように。

また、その勇気を自分自身だけでなく、他者へ与えることができますように。

ここにいる皆も含め、すべての人が自分の個性を発揮し

自信を持ち、夢をもっていきいきと暮らしていける。そんな社会を

「皆で」つくれる世の中でありますように。

『受けるよりは与えるほうが幸いである』

啓明学院で学ぶ一人ひとりがその言葉を体現し、

「地の塩、世の光となれますように」

この祈りを主イエスキリストのみ名によりお捧げします。

アーメン

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黒田尚子

神戸アジアン食堂バルSALA店長。

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